昨日は大雨で、今日は曇り、23℃。
5月に始まった梅雨・・・不思議!
昨日はカニューレ交換に失敗し、痛みが残っている。気管も腫れて
苦しい! カニューレは上手く収まらなかったから、3回も入れ
換えたけど、まだ呼吸器から送られてくる空気の入り方がおかしい!
聴診器を当てなくても、長い経験で判る。腫れが引くまで様子を
みるしかない!
もう限界だ。そう思ったら、本当に生きる限界に近づいている。
でも、自分自身の限界はどこにあるか誰も知らない。
我慢の限界と言っても、実際には人によってリミットの感じ方が違う。
それに気づくことが大事だけど、危険なのは、人の脳は合理的に
できていないからだと思う。生きているよりも苦痛を止めることを
優先にしてしまう。
何年か前に慢性心不全の痛みと色んな合併症が現れて、もう限界だと
感じた。それでも生きなければならないと精神的な苦痛も加わった。
癌だったら、余命宣告を受けたら、人生のゴールが見えてくる。
しかし、筋ジストロフィーは進行性の病気なのに、苦しんでも、
何回も限界を感じても、先は見えない。慢性心不全だと、
明日は死ぬ人がいれば、私のように呼吸器装着のままで合併症に
苦しみながら、心臓が止まるまで待つしかない。そこが人工呼吸器の
残酷さだと思う。
検査の結果は悪くても、医者に「後どのぐらいか」と訊いても、
データをみれば、もうこの世に存在していないはずだと言われる。
周りの人も皆そう思っている。娘も含めて! 私もそうです。
昨年の8月に発作を起こして、胸水や腹水と多臓器不全も判明したが、
苦しみながら、まだ生き続けている。良くなる見込みが全くないから、
もう勘弁してくれと神様に文句を言いたい。生きている意味があるの?
しかし、死にたくても、すぐ死ねるもんでもないといつも娘が言う。
聖書のお言葉
『もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない。』-ハバクク2:3-
「裏」と「表」」のように
「待つ」と「来る」をセットにしたら、
待つことになっても、必ず来ると期待しながら
待つことができるから・・・微妙😃
一番好きな歌で、辛い時にいつも聴いている。