2021年8月31日火曜日

晴れ。相変わらず暑い。33℃

今日は父のお誕生日で、満94歳になった。ポーランドの歳の数え方が
ちょっと違う。何月生まれと関係なく、1月からはもう+1歳と数える。

時差は7時間なので、日本時間の夜にスカイプで会う約束している。
一人暮らしで週に3回はヘルパーさんが来てくれる。でも、身の回りの
ことを自分でする。私にできることはスカイプで顔を見せること!
主に話すのは娘で、そのおかげでポーランド語を上達した。

今日は無事に繋がった。父は元気そうだった。

2021年8月26日木曜日

筋ジストロフィー・BNPとEFの関連

曇りのち晴れ。真夏の暑さ!

ブログの投稿が無理になってきた。パソコンを開けている時間も
短くなった。何をしても疲れる。

筋ジストロフィーの合併症の中で治療上で心不全はもっとも難しい!

呼吸不全の場合は人工呼吸器がある。延命になるけれど、感染症や
生活制限といずれ心不全の苦しみが待っている。しかし、一度装着した
呼吸器を外してもらうことが出来ない。
 
心臓は血液を全身の細胞に送り出す。身体に酸素や栄養を与える。
しかし、心筋が弱ってくると充分な血液を送れなくなる。多臓器不全が
進んで、死に至る。

心不全の経過
心エコー検査での左室駆出率(EF)は正常より大きく低下する。
筋ジストロフィーではEFが40%以下が心不全と考えられている。
放置するとどんどん低下して、10%以下にまで低下するようになる。

この検査は心臓内科専門医のいる病院しか正確な検査ができないので、
最近では血液のBNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)という検査で
代用し左室駆出率を推定している。

BNPの正常値は20以下。大まかには左室駆出率が30%ではBNP
60程度、左室駆出率が20%となるとBNPは100程度、左室駆出率が10%程度ではBNPは150以上となる。私は200を超えている。
もう致命的な数字!
 
内科的心不全治療の原則は安静が第一。BNPが150以上ともなれば
水分摂取の制限も必要になる。そのほかでは薬物療法が主になる。
BNPが20以下でも主治医が必要と判断すればACE(アンギオテンシン
変換酵素)阻害剤を投与する。BNPが20以上60以下ではACE
阻害剤にβ遮断薬を加える。BNPが60以上150以下ではさらに
利尿剤とジギタリスを追加する。BNPが150以上になったら入院して
治療が必要になる。

私の場合はもう入院しても何もできないから、家で死を待つしかない。
それは変えられない現実! 

色んな筋ジストロフィーのタイプがある。進行と合併症も皆それぞれで
必ず呼吸と心不全が自分に起こるとは限らない。過剰に恐れることが
ないと思う。

2021年8月20日金曜日

ポーランド

曇りのち雨。28℃で蒸し暑い。

今朝は利尿剤を増やして飲んで、少し尿が出たけど、身体に負担が
かかって疲れてしまった。

YouTubeを観ていたら、偶然ポーランドの風景の映像を見つけた。
観ていたら、涙が出て、ホームシックになった。いつもそうだけど、
どうしても懐かしくて観てしまう。

死んだら、ポーランドに飛べるかな?

2021年8月19日木曜日

批判

晴れのち曇り。久しぶりに30℃・・・余計にだるい!

ブログを書いたり、YouTubeで自分の日常生活を見せたり、
自分の意見を述べたりすると、批判されることがある。

しかし、批判が気になるのは、自分に自信がない証拠だと思う!
自分が納得していることなら、周りからの批判は気にならないはず。 

批判が気になるのは、自分の土台が揺らぐから。
批判を気にするのではなく、土台を強く広くしていくことに
意識を向ける。

2021年8月15日日曜日

在宅で死を迎える③

曇り。28℃

今日も血圧と脈拍が不安定で、酸素を上げて安静している。
こんな状態に慣れているとは言え、やはり日々進行している病気に
辛さを感じる。もう薬でコントロールできる状態ではない。

さて、今日は在宅死のデメリットについて
24時間に医者が近くにいないため、やはり不安を感じる時がある
・吸引などの医療行為をずっと家族が行わなければならないの罪悪感が
 ある
・家族に精神的と肉体的な負担がかってしまう
・家族の息抜きの時間がとりにくい
・突然死の場合は訪問の先生の死亡診断書がないと面倒なことになる
(家族の警察取り調べが行われる) 
 
もし「病院死」よりも「在宅死」のほうが正しく、好ましいとしても、
家族にとっては負担が大きい。何年間も在宅で看てもらうと、
やはり家族が疲れてしまう。本人と家族が話し合って、在宅死を
望んでいるのなら、それでいいんだと思う。しかし、そのために
環境を整えなければならない。最期を安らかに過ごせるには、
信頼できる在宅医と病院のサポートが理想だと思う。 

しかし、「在宅死」というのは、家の中に“死にゆく人”がいる状態で
あり、“死にゆく人”が穏やかに死ぬために精神的と肉体的なケアが
必要なのに、残念ながら、それは家族が担うことになってしまう。
一日の大半を“死にゆく人”と生活を共にするわけだから、家族の
精神的と肉体的な負担が大きくなる。耐える覚悟をしたとしても、
やはりやむを得ず「在宅死」を諦めるのも覚悟しなければならない。

2021年8月13日金曜日

在宅で死を迎える②

大雨。涼しくなって、身体がびっくりしてる。

昨日の採血の結果は悪かった。CTとエコーの検査が必要だけど、
コロナのせいでリスクの高い患者を受けいられない。在宅崩壊!
検査しても、もう助からない患者って今は邪魔だけです。
先日オプソという薬の説明を受けて、やっと出された。
ま、死ぬ準備! でも、気が楽になった😊

在宅死のメリットについて。

・家族と過ごす時間ができる
・いつもの生活ができる
・場合によってQOLを保てる
・生活のリズムが自由で、好きなものを食べられる
・最期を自分らしく過ごせる
・自分のことを自分で決められる(延命するかしないこと、
 お薬の服用をどうしたいか、痛みの緩和の開始など)

欧州で病院死が少ないという事実は、それに合う在宅サービスが
行き渡っていると思う。しかし、在宅サービスの充実だけでは
病院死が減らない。病院死が好ましくない終末期という考え方と
死生観が欠かせない。

では、日本は欧州と違って、なぜ、医療施設で亡くなる比率が
高いなのか。

家族の「死に際」は、病気の延長と捉えて病院暮らしを最適な選択と
思われている。面倒な自宅死よりも、「最期まで治療を続けた」と
いう安堵感を家族にもたらし、医療への傾斜が強い。 

「病気の治療に精一杯尽くし、結果としての死」という思い込みが
医療側に強く、国民も「病院でも力及ばずなら仕方ない」と、
病院死がいいことだという考え方が浸透してきた。その理由とは医療や
医師への日本独特の強い「信仰心」である。 

もう一つの要因は、「命は長いほどいい」という考え方が、医師を
通じて広まったことだと思う。ここから、本人には辛い、必要の
ないかもしれない延命治療が始まる。 

死は病気ではない。病院は病気の治療をする場であり、暮らしの
場ではない。人は必ず死ぬ。それが普通とされているのに、
日本ではその概念が消えかかってしまった。欧米では「自分で食事を
摂ることができなくなった時が死へのプロセスの始まり」という
見方が国民的合意となっている。 

もちろん、例外として、病気のせいで嚥下障害のある場合は、
胃ろうの造設が欧州でも認められている。栄養状態が悪いと言っても、
胃ろうを誰にでも造設されるものではないという欧米の考えです。
病院でも本人の意思が尊重される。

2021年8月11日水曜日

在宅で死を迎える①

雨。梅雨に逆戻り。気温が下がり、肌寒い!

体調の悪化に伴い、考え込むことが増えた。

まだコロナの前にテレビで[在宅死死に際の医療200日の記録」と
いう番組を観た。私も自宅で死を迎えることを希望している。 
しかし、この番組はちょっと在宅医療を美談化されているところが
あった。 

何回も電話一本で来る医師が少ないと思う。介護している家族と本人の
サポートしてくれる医療スタッフも不足しているし、相変わらず質より
量と利益が多い。

とにかく、在宅死を選ぶときに色んな覚悟をしないといけない。
不安と痛みとの闘い、コミュニケーションとのすれ違い、家族と
本人の判断にすべてお任せ、説明不足、本人の訴えに対応できない
場合は、「しばらく様子をみてみましょう」という決まり文句等々で、
結局、在宅はこんなもんだと諦めざるを得ない!

在宅で死を迎えることを選ぶメリットとデメリットは沢山ある。

考え込む

2021年8月9日月曜日

オリンピック

雨のち晴れ。停電なしで、台風が去った。少しだけ気温が下がった。

オリンピックが終わって、ちょっと寂しい! 私にとっては最後の
夏のオリンピックだった。色んな競技を観て、本当に良かった。
ポーランドは少し知られるようになって嬉しかった!

これからコロナはどうなるか気になる。開かれて良かったか、
悪かったか、評価がしにくいだと思う。困難の中で行われた
オリンピックだったことに違いない。

パラリンピックに全く興味がない。「同じ障がい者のくせに」と
言われるかも知れないけど、パラの雰囲気が嫌い! なぜ別々に
行わなければならないか理解できない。会場は違っても、同時で
いいだと思う。

パラリンピックのほうの感染のほうが気になる。開かれるべきではない。

2021年8月8日日曜日

台風9号

曇りのち雨。30℃

昨日からこのボロボロの身体が台風の接近を感じる。気圧の変化によって
心臓の症状は強くなり、利尿剤を飲んでも、尿が出なくなって、腹痛も
酷い! 頭だけは正常で困る。

Googleの天気予報

台風第9号は、8日9時には奄美大島の西北西約320キロの海上に
あって、1時間におよそ30キロの速さで北北東へ進んでいます。

台風は東シナ海を北東へ進み、8日夜のはじめ頃から9日明け方に
かけて九州北部地方に最も接近し、上陸するおそれがあります。

台風が予報円の中心を進みますと、福岡県では、8日夕方に風速
15メートル以上の強風域に入る見込みです。

このため、福岡県の沿岸の海域では、8日夜遅くから9日朝にかけて
非常に強い風が吹き、うねりを伴って波が高い所があるでしょう。

台風周辺の暖かく湿った空気が流れ込み大気の状態が非常に不安定と
なり、8日昼過ぎから9日明け方にかけて雷を伴った非常に激しい雨や
激しい雨が降り、大雨となるおそれがあります。落雷や竜巻などの
激しい突風が発生するおそれもあります。

また、大潮の時期にあたり、台風の接近に伴い沿岸では潮位が高くなり、
海岸や河口付近の低地では浸水や冠水のおそれがあります。

いつものように停電の恐れがあるから、慌てて呼吸器のバッテリーの
充電をし始めた。

2021年8月6日金曜日

Quality Of Life(生活の質)

晴れ。猛暑

また気管切開からの出血。娘の対応は正しかったので、どうにか血が
止まった。すぐに吸引をしてから、血の塊が出来ないように気切の
穴に直接に5~6滴の生理食塩水を入れて、また吸引した。
いちいち医者に訊いていたら、もう死んでいます!それは在宅介護の
特徴と生活の質に繋がる! 家族と本人の知識が必要だと思う。

今さらQOL(生活の質)のことを書いても仕方がない気がするけれど、ALSのお友だちの日記を読んで、自分も同じ意見と伝えたかった。

難病患者は在宅生活の中で大勢の人と付き合わなければならない。
家族の負担の軽減になると同時に、本人に精神的な負担が非常に
大きいだと思う。

私は終末期を迎えて、訪問診察と訪問看護も受けないことにした。
たまにヘルパーさんと入浴サービスを頼んでいる。

最初はコロナの影響があったけれど、今は自分にとって一番大事な
時期なので、理解と感情のない看護師と主治医と会いたくない!

日本ではQOL〔その人がこれでいいと思えるような生活の質〕を
求められてはいけない状況で、障害者は最低限のサポートに
満足するべきだという考え方がまだ根強い残っている。
 
上からの目線で見られるのも当たり前だし、自分の意見を言う権利も
ないし、前に何回もサービスを減らされても、質が悪くても、
打ち切られても、黙って諦めるしかなかった。 

まともな看護師に出会ったことがない。障害者の癖に、何もできない
くせに、有難いと思えとそればっかりを求められた。日本の社会が
おかしい。介護してあげているから、感謝しなさいって・・・。
でも、面と向かって言う勇気がないのに、態度で示されるだけです。

しかし、感謝というのは求めてくるものではなく、人間関係の中で
自然に生まれるものだと思う。

西洋人の考え方の違いなのか、それとも宗教の違いなのか? 

日本ではお年寄りのお世話が当たり前で、いつかだれだって老人になる。しかし、障害者になる確率は極めて低いので、その立場を考える必要が
ない。自分の身に降りかからないと理解できないと思う!

呼吸器を装着している患者は、ベッドでの生活のイメージが強く、
責任の問題もあるから、家族が世話するのは当たり前だと思われている。

結局、日本の福祉の方針が決まっていない。在宅中心でやって行くのか、それとも施設の設備とスタッフを充実をさせるのか・・・

在宅では重度障害者の世話を色んな理由(人手不足や知識不足や
責任問題など)で全面的にヘルパーと看護士に任せられないのなら、
働けなくなった家族に失業手当を支払われるべきだと思う。 
(イギリスのように)

施設に入所を主と考えるのなら、設備とサービスが充実している
ところではないと、本人と家族も納得しない。私は日本の病院さえに
入院したくない。

2021年8月2日月曜日

永遠の命

晴れのち雨。猛暑! この暑い夏は命のタイムリミットか?

終末期を迎える人は、「死んだらどうなる?」ときっと考える時がある。
それは当たり前だと思う。 

たった一つの人生だから、長生きしたいと思う人が多い!
私は一度も長生きしたいと思ったことがない。死んでからどうなるかと
考えても、不安だけになる。 

クリスチャンの考え方は、神様に命を与えられて、この世に送られて、
役目を終えたら、死を迎える。そして、苦しみもない永遠の命が
待っている。ある意味で死を楽しみにしている。

決して、今の人生を楽しんではいけないことと苦しめば苦しむほど
救われると考えではない。 

あの世を信じることは馬鹿げた話だという人がいると思う。
信じるもんかと・・・
まぁ、皆それぞれだし、生き方も違うし、神様を信じる人がいれば、
信じない人もいる。どちらがいいのか、悪いのかとは言えない。
ただ、お互いの考えを尊重するべきだと思う。

この世では何かで苦しんでいる人にとって、神様を信じたほうがラクに
なることがある。私にとって神様を信じることは、生きている支えと
心の安らぎである。そして、穏やかな死を迎えられることでもある。