2020年5月31日日曜日

言い訳

晴れ。暑くなってきたから、ベッド生活が辛くなる。
今日は扇風機を出してもらった。

奇麗な青空なのに、素直に喜べない自分に腹が立つ。
正直言って、心は相変わらず雨の中で、いつ晴れてくるか
判らない。祈るしかない。この状態でいることがいくらでも
言い訳できる。でも、それは何の解決にならない!

聖書に
『自分にできることをしたのです。』-マルコ14:8-
「自分に言い訳することを許そう」と書いてある。 

言い訳しちゃいけない!と思っていたので、ちょっとびっくり。
言い訳する時の「でも…」「だって…」の後に本音がある。

その本音をしっかり出したら、そんな自分にまだ出来ることが
見えてくるかも。言い訳には本音が隠れていることもあるよ。
自分の言い訳もしっかり受け止めてみる必要がある気がしてきた。

とにかく、今の自分を許して、時間をかけて、神様を信じて
また新しいスタートラインを探すしかない。見つかるかどうか・・・


2020年5月30日土曜日

体調

曇り。九州南部は梅雨入り。

体調のこともあり、最近は外出してないし、車いすへの移乗も
減ってきた。あまり食べないので、栄養状態のことを気になって、
クリニックに電話した。採血を頼んだが、断られた。
理由としては、訪問診察に来ない限り指示を出せない。

テレビではオンライン診療のことを言っているけれど、実施して
いる病院が少ない。コロナはまた復活したから、訪問診察が
リスクを伴う。先生が来られても、何か変わるわけでもないから、
果たして来る意味があるのかといつも疑問に思う。

先日、結石の痛みが酷くて、検尿をお願いして、問題なく指示が
出たのに、今回は採血について無理だと矛盾していると訴えたら、
何とかOKが出た。来週の木曜日に看護師一人が採血に来られる。

とにかく、コロナの時に医療関係者に柔軟な対応をしてほしい!

2020年5月27日水曜日

変化

曇りのち晴れ。お出かけ日和だった。

外出の予定していたが、腹痛に襲われて、ベッドから起きられ
なかった。今までの生活は不可能になりつつある。

身体の変化、心の変化、生活の変化。毎日いろんなことを経験する。
変化に追われている。でも、それに流れていくと自分を見失いそうに
なる。難しいけれど、変わらぬ自分でいたい!

 

2020年5月24日日曜日

鮮血

晴れ。暑い!

今朝は吸引の時に鮮血が出た。胸が痛い。でも、熱がないので、
様子を見ることにした。初めてのことだから、ちょっとびっくり!
肺のうっ血のせいか咳き込むことが多くなって、血管もやぶやすく
なったと思う。

2020年5月23日土曜日

「stay home」

青空。

心が晴れれば一番いいんだけど、この季節だといつも情緒不安定に
なる。暇だと余計なことを考えることが多い! 
まぁ、誰にでもこんな時期がある。

寝たきり状態ですることは限られている。パソコンかテレビかが
主になってくる。しかし、パソコンでもオペレートナビと特殊な
スイッチを使って、何でもできるというわけではない。

私にとってコロナが流行っているから「stay home」ではなく、
普段は「stay home」が当たり前の生活になっている。

テレビで健康な人が家にいると暇でストレスが溜まるとかと聞くと、
腹が立つ。ベットから出られて、自分で何でもできて、お外に
一ヶ月行けないだけで文句を言うな!

暇になりたくてもなれない人もいる! 

2020年5月21日木曜日

目的

晴れ。4月下旬の気温。

生きる気力が湧いてこない日々。コロナを言い訳にしてはいけないと
想いながら、やはり言い訳にしている。まぁ、そのほうがラク!

生きている目的を失ってくると逃げ道を探す。とにかく頭がうるさくて
落ち着かない!

あの世に行くのは私にとって人生の意味であるのに、中々神様が
呼んでくれない。いつまで耐えればいいのか教えてくれないから、
不満も募る。

もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせているけど、おそらく私の
修行がまだ足りない。信仰は力になるが、信じることが難しい時も
ある。

でも、離れたり、戻ったりすることが当たり前だと思う。神様に
祈るだけではなく、感謝ばっかりすることもなく、文句を言える
父のような存在でもある。

聖書の言葉
『最後まで耐え忍ぶ者は救われます。』
-マタイ24:13-

我慢の中には不満があり、
辛抱の中には希望がある。

自分を押し殺して耐え忍ぶなら【我慢】になり、
希望をもって耐え忍ぶなら【辛抱】になる。

我慢はいずれ「 爆発 」に繋がる。
辛抱はいずれ「 実 」を結ぶ。

我慢はあまりしないほうがいいだと思う。
でも、辛抱 だったら必要だ!

これは、誰でもわかっている事であるが、実践は難しい気がする。
意識的な訓練も重要だと思う。

まぁ、「我慢」という体験を通して「辛抱」に気付く場合が多い。
「我慢」&「辛抱」&「忍耐」・・・これらを必要としない人生を
歩む人たちもたくさんいるが、短い人生の中ではどれもが貴重で 
大切な体験だと思う。

体験自体は同じだが、自分自身の「意識、心、魂の立ち位置」が
どこにあるか(プラスエリアなのかマイナスエリアなのか)で、
表現する言葉が違うだけ気もする。

ある人は「辛い訓練、仕事、練習」を「我慢」と捉え、同じことを
していても、別の人は「辛抱」と捉え、更に別の人は「励み」と捉え、「充実」、「生き甲斐」、「幸せ」と捉える人もいるはずで、
やはり皆それぞれ! 少しでも充実感溢れる人生にしたいのは
皆同じだと思う。

2020年5月17日日曜日

コロナと在宅介護

曇り時々晴れ。蒸し暑い!

気力と体力の限界! 癌じゃないのに、身体の痛みが生きる
気力を奪われていく。

前から在宅介護について色んな疑問を持っている。人手不足や
家族の負担や精神的なサポートなどの様々な問題がある。

コロナと共存をしなければならないからこそ、ヘルパーとほかの
介護制度を見直すべきだと思う。今は感染のリスクか、ヘルパーと
看護師のサポートを受けるか、この二つの選択肢しかない。
介護の場合は濃厚接触を避けられない! 家族と住めば、他人が
出入りするとやはり本人と家族の感染のリスクが高まる。

それかと言って、すべての介護サービスを断ってしまうと家族に
負担がかかる。家族は感染したら、介護職員と違って労災認定が
不可能です。介護職員に移されても、文句言えない!

正直言って、毎月15日に介護事業所に出す予定表を書く時に
すごく悩んでいる。そして、感染リスクを考えて入る時間を
減らすことがある。

これからコロナのことを考えると在宅介護にかかわる職員が
減ってくるし、こちらも躊躇することが増える気がする。
呼吸器を着けている一人暮らしの方はやむを得ずにまた家族の
お世話にならないといけなくなる。

やはりイギリスのように介護して働けない家族にちゃんと
介護職員として認めて給料を支払うべきだと思う。
今は月に何時間かヘルパーか看護師を断っても、事業所が
損するけど、国は得する。そのお金はどこかへ消えていく。

2020年5月14日木曜日

緊急事態宣言の解除

晴れ。明日は下り坂・・・台風1号が発生した。

福岡県も緊急事態宣言が解除された。これからどうなるか?
やはり命よりも経済! そうなると思ったが、そんなに早く・・・
結果をいずれがわかる。とにかく危ない! 日本で出されている
数字を信用できない。これから自粛を続ける必要がある。

最近、腹痛が酷くなり、薬も効かない。検査を受けたいが
今は難しい! コロナは収まらないとできない! いつまで
我慢できるか・・・

体位交換機のモーターはまだ修理に出したままでまだ戻らない。
身体が痛い! 娘も辛くて落ち込み気味で、何んとなく二人とも
気力を失っている。介護する側とされる側はそれぞれの苦しさと
辛さがある。もう二人とも今の状態から開放されたいと
しばしば口にしている。いつか限界を迎える気がする。

こんな時にいつも聴く歌がある。

2020年5月12日火曜日

心と身体

曇りのち晴れ。

無事にお風呂に入ってよかった! 身体を洗ってもらって、
心もスッキリ!

さて、今日の考えごとは苦痛と快適について。

苦痛を感じたら、身体と心もそれを直ぐに無意識的にどうにか
消そうとしている。反対に快感を忘れようとしても、忘れることは
できない。

何かをしても、苦痛と快感を味わえる。ところが、時間が経つと
快感だけが残っている。

心の状態を表す言葉は、「苦痛」と「快感」がある。どちらでも
ない状態だと「中立」と言える。

人の行動は、快感を求め、苦痛を避ける。快感を感じた時は
プラスとなり、再び同じ快感を手に入れることができるように
行動を変えている。

苦痛を感じた時は、マイナスとなるが、再び苦痛を感じないように、
また行動を変えている。このように経験が行動を良く変える力がある。

肉体的苦痛の場合、例えば、熱い飲み物で火傷しそうになると、
次は誰でも用心して飲む。経験は明らかに行動を変えてしまう。
苦痛という感覚は嫌なものだけど、それがないと経験も生まれない。

心の苦痛も同じだと考えればいいと思う。何か失敗していやな思いを
しなければ、同じ失敗を何度も繰り返すことになる。失敗を経験として
活かすためには、苦痛体験が必要だと思う。

しかし、その後の行動に色んな選択がある。一度失敗をしたことで、
同じ行為を二度とやらないという選択と、失敗した原因を考え、
もう一度チャレンジする選択もある。

まぁ、苦痛という感覚は望む感覚ではない気がする。でも、それを
避けていると経験も生まれないと思う。苦痛が起きた事でそれを
自分の行動を変えていくチャンスかもしれない。
そして、受け止めることによって前向きな発想ともつながる。

快感ばかりを味わえる人生はいいかも知れないが、実際はあり
得ないと思う!

2020年5月10日日曜日

母の日

曇り。蒸し暑い。沖縄は梅雨に入った。

日本と違って、ポーランドでは5月26日に母の日です。
まぁ、日本は5月第2週の日曜日になっているので、
今日は娘が庭で育てた花をもらった。

私は相変わらず毎年この日を迎えると複雑な気持ちになる。
呼吸器を着けたままで産んだ娘に感謝される資格がないし、
母らしいことをしていないので、何んとなく罪悪感がある。
母親として自分を受け入れられない時期もあった。

勝手に産んで良かったかどうか、それも疑問に思うことが
あるけど、出産と子育ては間違いなく貴重な経験をさせて
もらった。逆に娘に感謝するべきだとしばしばそう思う。

私は人生の中ですべて神様に与えられたものだと信じて
いるので、悔いのない毎日を過ごしている。
もちろん心の変化もあるし、落ち込むことも、幸せを
感じることもある。完璧な人間はこの世の中にいない。

誰にでも迷いがあり、不安もある。必ず前向きにならないと
いけないことがないと思う。娘に産んでくれと頼んだ覚えが
ないと今まで何回か言われたことがある。それはそうだと
認めるしかない。

人生はこんなもんだと思って、求め過ぎないのは一番!

2020年5月9日土曜日

当たり前のように

雨。24℃。

体調は悪くなればなるほどやはり色んなことを考えてしまう。
心不全だけで毎日は精一杯なのに、コロナは余計にストレスを
増やしてくれた。

「当たり前に過ぎていく時間はかけがえなく愛しくなる」と
チェコの作家カフカはこう書いていた。

「自分のまわりにいる友達や大切な人とあとどれくらい
同じ時間をすごすことができるだろうと考えると少し切なくなる。
その当たり前のように過ぎる時間たちが自分にとって
特別なものだったと気づくのはずっともっとあとになってからが多い。
同じ時間は二度となく、ひとつひとつの時間が貴重なものだと、
自分ひとりだけでは気づきにくい。

その時間の中で、友達や家族、恋人がいてくれることで
その大切さにようやく気づく。
当たり前のようにそばにいて、当たり前のように
過ぎていくその時間たちがかけがえなく愛しいものなんだと
ずっと忘れずにいたい」  カフカ

私もその通りだと思う!

2020年5月7日木曜日

癒し

五月晴れ。爽やかなお天気が続いている。

体調とヘルパーさんの自粛のせいか、まだ彼がPCR検査を
受けられないため、ちょっと落ち込んでいる。車いすの移乗は
三日一回になってしまった。

今日もパソコンに癒しを求めて、色々とネット検索をしている。
富士山の風景が大好きなので、探したら以下の今朝の富士山の
写真をウェザーニュースで見つけた。

連休明けの今日は各地で青空が広がっている。雨の後、富士山が
美しい姿を見せた。これから気温は上がり、山肌が目立つように
なる。富士山も徐々に衣替えを進めている。

2020年5月4日月曜日

「忍耐」と「我慢」

雨のち晴れ。夏日。

今日はやっと体位交換機のモーターを修理に出した。前にお世話に
なった知り合いで、何んとか直ると願っている。

緊急事態宣言が延長された。当たり前のことだと思う。
忍耐力が必要だけど、もっと我慢しないと大変なことになる。

「忍耐」と「我慢」はどのような差がある?
辞書で調べると、「忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを
耐え忍ぶこと」。「我慢とは、耐え忍ぶこと。こらえること。
辛抱」と書いてあった。

え~、同じじゃないかと思った。しかし、更に調べてみると 
我慢や忍耐を表すギリシア語「ヒュポモネー」 という言葉を
見つけた。

この言葉は、耐えてやり過ごすという意味よりも、もっと希望の
ある言葉で、「 心に強い希望を持ち、苦難に立ち向かい、望みを
叶える」という意味合いを持っている。

希望は、だまって耐えていれば、わいてくるようなものではなく、
苦難にあっても、希望を強く持ち、苦難に立ち向かう者にこそ、
勝利は与えられる。

聖書の中にも、「忍耐」という言葉を見つけた。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達が希望を生む」(ローマの
信徒への手紙5:3-4)

我慢を自分で選択したか、しなかったかで大きく意味が変わって
くると思う。自分で選択したなら、「ヒュポモネー」だが、
「させられている我慢」 で、知らず知らずに責任転嫁をしてしまう。

「忍耐」とは、希望を叶えるために耐え忍ぶことで、
「我慢」とは、自らの良心に反し、耐え忍ぶこと。

2020年5月3日日曜日

大丈夫

12日ぶりの雨。昨日より気温はさがり、過ごしやすかった。
 
処方された抗生剤は今日で終わったが、あまり効果がなかった。
何しろ診察を受けられないし、採血もできないし、すべて手探り
状態!  

「大丈夫」だと自分に言い聞かせている。
大丈夫という言葉が好きだと言えないけれども、間違いなく
便利だと思う。

大丈夫
どうにかなるよ

大丈夫
やり直せる

大丈夫
一人じゃないよ

大丈夫
必ず変われる

大丈夫
いつかラクになる
いつか終わる

などなど・・・

大丈夫じゃなくても、大丈夫!・・・たまに必要!

2020年5月1日金曜日

見分けと守り

晴れ。27℃。明日も夏日!
 
今日は入浴だったから、疲れたけど、10日ぶりにさっぱり!

先ほど、うちに来ているヘルパーさんからメールがあって、
熱を出した別のスタッフと濃厚接触していた。でも、まだ
二人ともまだPCR検査を受けられない。はっきりするまでに
来られなくなった。まぁ、いつかそうなると思った。

コロナは凄く身近なものになった。日本の対策と対応はあいまいで、
不十分で、騙し騙しでやっていると思う。広く検査をしなければ、
安心して介護を受けられないし、家族に負担がかかる。しかし、
介護職員のように労災がおりない!

聖書の言葉
『すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。』
-1テサロニケ5:21-

日々たくさんの情報があふれている。知れば知るほど、ためになるし、
何かを得たように感じる。でも、意外と情報に振り回されている
事が多い。

本当に今、信じられるものは、以外と多くはないのかもしれない。
最も大切なことは何かと自分に問いかけながら、情報の取捨選択を
しなければならない。

不安や恐れが大きい時は、大体、何かの情報がきっかけになって
いることが多い。

全ての情報を遮断することはできないけど、必要な情報を見分けて
いくことは大事なことだと思う。うまく見分ければ、自分にとって
大切なものを守ることができる。

情報ディスタンスも必要! 騙されないように!