2020年5月4日月曜日

「忍耐」と「我慢」

雨のち晴れ。夏日。

今日はやっと体位交換機のモーターを修理に出した。前にお世話に
なった知り合いで、何んとか直ると願っている。

緊急事態宣言が延長された。当たり前のことだと思う。
忍耐力が必要だけど、もっと我慢しないと大変なことになる。

「忍耐」と「我慢」はどのような差がある?
辞書で調べると、「忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを
耐え忍ぶこと」。「我慢とは、耐え忍ぶこと。こらえること。
辛抱」と書いてあった。

え~、同じじゃないかと思った。しかし、更に調べてみると 
我慢や忍耐を表すギリシア語「ヒュポモネー」 という言葉を
見つけた。

この言葉は、耐えてやり過ごすという意味よりも、もっと希望の
ある言葉で、「 心に強い希望を持ち、苦難に立ち向かい、望みを
叶える」という意味合いを持っている。

希望は、だまって耐えていれば、わいてくるようなものではなく、
苦難にあっても、希望を強く持ち、苦難に立ち向かう者にこそ、
勝利は与えられる。

聖書の中にも、「忍耐」という言葉を見つけた。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達が希望を生む」(ローマの
信徒への手紙5:3-4)

我慢を自分で選択したか、しなかったかで大きく意味が変わって
くると思う。自分で選択したなら、「ヒュポモネー」だが、
「させられている我慢」 で、知らず知らずに責任転嫁をしてしまう。

「忍耐」とは、希望を叶えるために耐え忍ぶことで、
「我慢」とは、自らの良心に反し、耐え忍ぶこと。