2020年5月21日木曜日

目的

晴れ。4月下旬の気温。

生きる気力が湧いてこない日々。コロナを言い訳にしてはいけないと
想いながら、やはり言い訳にしている。まぁ、そのほうがラク!

生きている目的を失ってくると逃げ道を探す。とにかく頭がうるさくて
落ち着かない!

あの世に行くのは私にとって人生の意味であるのに、中々神様が
呼んでくれない。いつまで耐えればいいのか教えてくれないから、
不満も募る。

もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせているけど、おそらく私の
修行がまだ足りない。信仰は力になるが、信じることが難しい時も
ある。

でも、離れたり、戻ったりすることが当たり前だと思う。神様に
祈るだけではなく、感謝ばっかりすることもなく、文句を言える
父のような存在でもある。

聖書の言葉
『最後まで耐え忍ぶ者は救われます。』
-マタイ24:13-

我慢の中には不満があり、
辛抱の中には希望がある。

自分を押し殺して耐え忍ぶなら【我慢】になり、
希望をもって耐え忍ぶなら【辛抱】になる。

我慢はいずれ「 爆発 」に繋がる。
辛抱はいずれ「 実 」を結ぶ。

我慢はあまりしないほうがいいだと思う。
でも、辛抱 だったら必要だ!

これは、誰でもわかっている事であるが、実践は難しい気がする。
意識的な訓練も重要だと思う。

まぁ、「我慢」という体験を通して「辛抱」に気付く場合が多い。
「我慢」&「辛抱」&「忍耐」・・・これらを必要としない人生を
歩む人たちもたくさんいるが、短い人生の中ではどれもが貴重で 
大切な体験だと思う。

体験自体は同じだが、自分自身の「意識、心、魂の立ち位置」が
どこにあるか(プラスエリアなのかマイナスエリアなのか)で、
表現する言葉が違うだけ気もする。

ある人は「辛い訓練、仕事、練習」を「我慢」と捉え、同じことを
していても、別の人は「辛抱」と捉え、更に別の人は「励み」と捉え、「充実」、「生き甲斐」、「幸せ」と捉える人もいるはずで、
やはり皆それぞれ! 少しでも充実感溢れる人生にしたいのは
皆同じだと思う。