2020年3月31日火曜日

曇り。16℃。

先週の木曜日から体調が悪くて、今日は37.6℃、喉の痛み、痰も
増えている。明日は先生が来てくれる。
果たして?

2020年3月30日月曜日

積み重ね

曇り。14℃

今日は悲しいニュースが飛び込んできた。
志村けんが亡くなった。新型コロナウイルスの恐ろしさを
改めて知らされた。本当に他人ごとではない。
もう彼の笑顔を見られないのはとても残念で信じられない。

大好きなチェコの作家F.Kafkaの言葉。

自分が大事にしたいと思う人が明日も必ず近くにいるかなんて
わからない。明日のことは誰にもわからない。

「いつかこの人を失うかもしれない」と思うと切ないけれど、
今ある気持ちが一番大事なのだろう。
  
失うことばかり考えていたら、今あるものの大切さを見失いそう。
自分で不安の種を植えることはやめよう。失うことを考えるより
今ある大事なものを育てることを考えよう。

そんな風にともに笑い合っていけたら、ずっと幸せになる。
大きな幸せは小さな幸せの積み重ね。 
大事なのは今そばにいて笑ってくれる人。

2020年3月29日日曜日

理解

晴れ時々曇り。

かなり心身ともに疲れている。ストレスがかかると痛みも増えるし、
自分自身を時々わからなくなってしまう。自分以外の人に
理解してほしいのは、間違いで、不可能だと思う。相手を理解して、
何かして上げられることも大抵自分の思い込みに過ぎない。
相手に尽くすというのは、理解できなくても、感謝されなくても、
ちゃんとやることだけ! 最近、そう思うようになった。

2020年3月28日土曜日

いのちの歌

雨。15℃。

最近、竹内まりやの「いのちの歌」という曲に感動した。
YouTubeで聴いたら涙があふれた。この曲はジーンと心に
沁みてくる感じ。感動的な曲を作ってくれて、竹内まりやに
ありがとうだ。

2020年3月27日金曜日

小さな幸せ

今日も雨。一昨日は晴れで、本当に運がよかった!

玄関のドアを開けてみたら、外は、キラキラ、眩しい昼下がりだった。
青い空の中に誘われて、降り注ぐ日の光の下で桜咲いていた。

爽やかな風に吹かれて、大空を見上げながら、勇気を出して
良かったと思った。ゆっくり歩いたら、ふわっとやさしい
色んな香りに包まれて、嬉しくて久しぶりに微笑んだ。
まさかそうなると想像もしなかった。

そして、ここにある幸せに気づいた。その光が小さくて、
見落としそうなほどの、ささいな幸せだけど、確かな喜びを
今、私が感じている。心の中が暖かくなって、まだ生きていて
よかったな~ 「神様、ありがとう」と心の中でつぶやいた。

2020年3月26日木曜日

花見と海

雨。16℃。

オリンピックは延期になった途端、コロナウイルスの感染者が
増えてきた。やっと日本は本当の数を発表するようになる。
まぁ、どうでもいい!

昨日は絶好のお花見日和だった。正直言って、あまりお外に出る
体調ではない。しかし、家にいても、もう良くなるわけでもない。
もっと悪くなる可能性があるので、たまにお外の空気を吸って、
まだ生きていることを実感したほうがいいといつも娘に言われる。

そういうことで、桜を見に行くことになった。毎年に行っている
公園でまだ3分咲きだったが、家の近くに5分咲きの桜の木を
見つけた。


そして、風がほとんどなかったので、社会福祉協議会のリフト車で
町の港に行ってきた。釣している人が多かったし、ちょうど近くの
島を結ぶ連絡船が港に入った。




昨日は空気が非常に乾燥してたから、人工鼻を付けて行った。
それでも、加湿は不十分だった。

2020年3月24日火曜日

今日の一日

晴れ。20℃。良い季節になった。

大相撲が終わって、5月場所は普段通りに行われるといいな!
個人的に無観客のほうが好きで、外国人力士たちがやりやすい気が
する。観客はやはり日本人のほうが応援しているから、どうしても
精神的に負担がかかる。今回は横綱二人が力を出し切った。
白鵬の44回目の優勝で春場所が無事に終わった。

今日は久しぶりの入浴だったが、コロナウイルスのせいか、
皆さん緊張していた。でも、入浴サービスを利用しない訳はいかない。
お風呂の後はちょっとお喋りのヘルパーさんが入った。中々ゆっくり
休めずに父とスカイプの時間になってしまった。

父の話を聞きながら、眠気に襲われた。まぁ、どうにか乗り越えた。
週に2回の1時間のスカイプは唯一私にできる親孝行だと思っている。

今日は疲れた。明日は花見の予定で、行けるかな?


2020年3月23日月曜日

何気ない毎日

晴れ。17℃。

毎日過ぎていく何気ない日常。朝は目が覚めるだけで奇跡だと
自分でも思うようになった。そして、毎日同じことの繰り返し!
落ち込みもあり、小さな喜びもある。

最期を迎えると、何気ない日常がかけがえのない毎日に変わる。
コロナウイルスが流行るまでにおそらく多くの人は、死の意識を
せずに普段の生活を送って、自分の身に何も起こらないと思ってた。

命の危機が迫ると、人はやっとこの何気ない毎日の大切さに気付く。
特に日本では、「死」を口にする事は、まるでとんでもない非常識な
事とされている。「ネガティブ」と言われる。「弱い」と言われる。
「逃げてる」と言われる。「頑張ってね」と言われる。
「そんなこと言わないで」、「そんなことを考えないで」と言われる。

私は死について前から考えているし、誰かと話をしたいが・・・。
死を殆どの人は意識せず、触れないようにして生き続け、最後の
最後で死を迎える。

何事にも心の準備と覚悟が必要だと思う。私だけ?
幸か不幸か、いつか誰もが間違いなく、“絶対”に死を迎える。

確かに私はクリスチャン・カトリック信者であるが、何かを押し
付けるつもりもないし、神を信じろとも言わない。
ただ、遅かれ早かれ必ずやってくる「死」という事実に怯え、
なるべく考えないようにし、口にもせず、忘れたふりして
生きるのはどうかなと思う。個人的な意見だけれど、それは
生きてるとは言えない。

今の日本は、まさにそんな状態で生きている人が圧倒的に多い
気がする。

2020年3月21日土曜日

100日後に死ぬワニ

晴れ。23℃。桜の開花🌸

先日、テレビ番組「スッキリ」で話題になった漫画「100日後に
死ねワニ」に興味が沸いてきて、YouTubeで全話を見つけた。


主人公のワニが何気ない日常生活を送っている。もちろん100日後に
死ぬことも知らないし、それを意識して生きている訳でもない。
読者はワニの死を意識をしながら、毎日ひとコマを読む。

人はどんな生活をしても、いつか必ず死ぬというテーマ。
作者は死を意識してもらえるようなきっかけになるといいなと
番組の中でそうおっしゃった。

死を意識することで、より生きることを意識する。それは大切な
ポイントで、考えないといけないことだと思う。

2020年3月20日金曜日

書けない状態

晴れ。季節が進み、今日は暖かくて、杏子の花は満開を迎えた。

この三日間はブログを書きたくても、書けなかった。
手のひらの腫れと痛み、頻脈と動悸に度々に襲われ、眠れない日々も
続いて、心身ともにダメージが大きい!

この状態をどう乗り越えるか?

2020年3月17日火曜日

変化

晴れ。いきなり17℃になった。三寒四温は本当にきつい!

私は生活の変化が嫌いで、何か変わると中々それに適応できず
ストレスが溜まる。変化がなければ、心も安定する。

でも、今のように変化している世の中では心の安定をもたらすことが
できないと思う。まぁ、変化することは当たり前だと受け入れて
しまえば、慌てることがないかも知れない。

しかし、変化するということは今までと違った状態になる。
そして、自分自身をその変化に合わせなければならない。
今までの快適な状態ではなくなる。

自分のペースをそれに合わせる必要だと思う。何が起こっても
不思議ではないの世の中だと考えをもたなきゃ。
でも、変化を嫌う人にとって、それはすごく難しいことだと思う。


2020年3月16日月曜日

地震

先ほど地震があって、住んでいる町は震度3だった。
久しぶりに結構揺れて、ヒックりした。心臓に悪い!
15年前は3月20日に福岡県西方沖地震があった。
ちょうど同じ時期で、ちょっと嫌な感じ。


雨のち晴れ。12℃。

明日からヘルパーさんがまた来てくれる。家族に感染が出て、
用心のためにうちはキャンセルになった。結局、検査してないから、
何だったかよく判らない。

まぁ、今はコロナの終息が見えない中で、誰でも不安を感じながら、
精一杯で生きていて、乗り越えようとしている。

私は在宅で呼吸器を使うと決めた時から今と同じ感染防止の
対策を継続しているだけで、30年以上も変わらない。
気管切開していると既に色んな感染のリスクがある。

聖書の言葉
『あなたがたは、世の光である。』-マタイ5:14-   

あなた自身は、気づいていないのかもしれないし、
信じられないかもしれないけど、あなたの存在が、
誰かの励ましになっている。 

あなたが生きることだけで誰かの光になっている。    
あなたはあなたらしく生きていることが誰かの希望と
励ましになっている。 

2020年3月15日日曜日

国はそれぞれ

晴れ。13℃。

ポーランドでもコロナウイルスが流行りだした。父のことは
心配でインターネットのニュースを観ている。まだ100人の
感染しか確認されていないのに、緊急事態が発表された。
毎日1500人は検査を受けている。

国々の対策は様々だけれども、日本の対策をどうしても理解
できない。国として余裕があるのか,それともコロナをあまく
見ているのか、すべての対策は中途半端だと思う。私だけ?

コロナと向き合って戦うしかない。現実から逃げても、
何の意味がないのに、マスコミも国内感染情報よりも、
外国の感染に目を向けさせようとしている。
「日本はまだいいよ!」と間違えた考えを植え付ける。

外国の報道では韓国と中国はもう沈静化したとの
ニュースが出ている。日本では変なライバル意識を持って、
韓国の件数のほうが多いと報道されている。
ほかの国と比較する場合か?!

まぁ、日本の高齢化が進み、医療費も膨らみ、コロナは都合よく
高齢者、難病の患者、弱者を殺せば、国の負担が減ってくる。

今の対策を見ると間違いなくそうなる。検査を実施しなければ、
コロナは消えない! 外国では新生児の感染も確認されている。

まぁ、知らなければ、そのうちに恐れなくなるという心理もある。
日本はこの心理を利用して動いている。果たしてうまくいくか
どうか・・・

2020年3月14日土曜日

家族

晴れ。15℃。暖冬のせいか、杏子の開花が遅かった。満開はおそらく
桜の開花と同時になる。珍しい! いつもだと梅 → 杏子 → 桜です。

昨日は父とスカイプして、今日はカナダに住んでいる弟と従妹から
メールが来た。家族は皆バラバラだけど、遠い親戚でも繋がりは強い。

家族の想いと言えば一緒にご飯を食べる。
たくさん喋る日があれば、ほとんど話さない日もある。
意見が違う時に喧嘩もできる。思いは同じで、一緒に笑う。

本気で叱ったことと叱られたことの後は、一緒に泣いたこと。
時に耐えて黙っていたことでも、寄せられる思い。

そして、いつも心配したり、させたりするのも当たり前だと思う。
必死で守ったり、守られたりするのもお互いに感じる。

一緒に暮しているけど、お互いに寂しいと感じることもある。
ずっとずっと抱きしめてはいられない親子はいつか離れていく。

そしてやがてまた新しい家族ができる。離れていても、ずっと
つながっている。家族でよかったとの想いが死ねまで消えない。

2020年3月12日木曜日

人生の扉

今日も快晴。16℃。

昨日は疲れて、ダウンした。ヘルパーさんはお休みで、車いすに
移乗しなかった。

最近、色々と考えすぎで脳をクールダウンしなきゃ!
でも、暇だと頭はいつもフール回転になってしまう。

今日は音楽鑑賞の日にしようと決めて、YouTubeをサーフィン
したら、懐かしい歌を見つけた。竹内まりやの「人生の扉」。
結局、この曲を聴きながら、また色々と考えさせられた。

生きていると色んな扉がある。その扉の向こうに年を取るごとに
何が待っているのか、開けてみなければ、誰にも判らない。
それでも、扉を開けなければならない。




I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90
I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living

20代は楽しい、と私は言う
30代は素晴らしいとあなたは言う
そして40代は素敵、と人は言う
だけど50代っていい、と私は思う

60代でも問題ない、と私は言う
70代でも大丈夫だ、とあなたは言う
そして80代もまだまだいける、と人は言う
でも、もしかしたら私は90過ぎまで生きるかも

弱っていくのは悲しい、と私は言う
年老いていくのはつらい、とあなたは言う
そして人生なんて無意味だ、と人は言う
それでも私は生きる価値はあると信じている

2020年3月11日水曜日

休息

快晴。13℃。

今朝はヘルパーさんから連絡があって、一緒に住んでいるご家族
一人は38度の熱を出した。まさかコロナウイルス⁈ 
本人は熱がないと言われたけど、はっきりするまでに休ませる
ことにした。

今日は娘のおかげて予定通りに運転ボランティアの方と外出できた。
休息することは人にとって必要だと思う。毎日パソコンばっかりだと
疲れる。たまに違うことをしたくなる。

まぁ、確かにこのブログは私にとって「オアシス」と呼ばれる
場所だけど、すべてではないので、時々頭を空っぽにして、
日差しを浴びるのも必要だと思う。


2020年3月9日月曜日

自分を抱きしめる

曇りのち雨。15℃。

今週は誕生日で、ちょっと複雑な気持ち・・・

若さという力をなくして、病気も進んで、以前はできた
ことができなくなった。そして、せっかく得たものが失われていく。

こうして、どんどん変わっていく自分自身との出会い。
まるで初対面のような自分・・・

今までの自分と違っても、できないことが増えたとしても、
一番美しいのは、今の自分だと思う。何もできなくなっても
少しでも笑顔でいられる自分が好き!

今、ここにいる自分を抱きしめたい。

2020年3月8日日曜日

大相撲・春場所

晴れ時々曇り。15℃。

昨日は低気圧で、今日は高気圧・・・致命的な変化!
昨夜は胸が苦しくなり、ニトロの舌下に救われた。
心臓の症状は前より酷いと感じる。不整脈、動悸、体のむくみ、
手のひらはパンパンに腫れている痛い!
今日はメインテートと利尿剤を飲んで、どうにか腹水と胸水が
少し改善されて、やっと痰が出るようになった。

楽しみにしていた大相撲の春場所が始まった。例のない
無観客状態で初日が行われた。違和感があるけれども、
コロナウイルスに負けずに力士たちは頑張れば、それでもいい!

横綱白鵬と鶴竜は無観客状態だと集中できると思う。

人生の意味


最期を迎える人は今生きる意味があるのかときっと自分に何回も問いかけることが
ある。特に難病と向き合って何年か、もしくは何十年も不自由さを感じながら
生きている人は、果たして生きる意味を見出すことが出来るか。

人生に特別な意味があるとは思わないが、でも、自分の人生に勝手に意味を
見出すのは快感であるに違いない。

誰にも認めてもらわなくていい、自分だけが満足で生きればいい、という程度だと
きわめて個人的な「意味」になる。他人に承認してもらう必要がないので、
これは楽だと思う。

結局、人を苦しめているのは、「他人の承認を欲しがる」ということだ。
他人って自分の思い通りにならないし、全くあてにならない気がする。
それなのに、どうして人は、そんなに他人に認めてほしい?と理解できない。

その中で障害者も普通の人間と認めてほしいから、周りの人間に自分を同じように
扱ってねという要求が強い! しかし、そう認めてくれない人もいる。
それは悔しいかも知れないが、仕方がないと思う。

それを「差別」と言うのなら、世の中の大半の人間は自分の思いどおりに
他人から見てもらえないので、みんな被差別者ということにならないか・・・

そのために迫害を受けたり人権を侵害されるのなら「差別」だが、
自分の思ったとおりに扱ってもらえないなんてのは差別と言えないと
私は思う。

人は自分のアイデンティティを自由に設定する権利がある。
でも、自分の決めたアイデンティティを認めさせる権利はない。

他人に「理解しろ」「受け容れろ」「承認しろ」と要求するのなら、
相手の疑問や違和感に対して丁寧に辛抱強く答える義務もあると思う。

他者の承認を求めても中々得られないのが人生というものであり、
社会というものだと私は思っている。

自分だって他者を無条件に承認することは不可能なのだから、
自分が思うような形で承認されないのも当たり前だと思う。
それが大きなストレスとなるのなら、いっそ他者の承認など
求めずに生きればいい! まぁ、かなり強い人間ではないと難しい!

人間は他者の承認によって初めて「自己」の輪郭を作り得ることがある。
他者は己を映す鏡とも言える。客観的な自己像を作るために必要かも!
そうでないと勘違い人間として生きていく羽目になる可能性が高い!

2020年3月7日土曜日

危機感

雨。暗い雰囲気の空は何となく心を暗くする。

次から次へ色んな不調と向き合わなければならないのに、
コロナウイルスの危機も迫っている。外に出るか出ないか、
余計に悩む。やはり割り切れない部分があるし、もどかしさも
感じる。

不安な思いは人を育てるという説がある。人は不安を解消するために
どんどん不安を追及し、リスクを回避しようと懸命に考えていいくと
言われている。

そして、ぼんやりとしていた不安が明確なリスクとなって現れ、
それを最大限に回避することのできる手段を思いつく。

後は自分自身を信じることができるかどうかの問題なのかも。
できることは全て手を尽くしたという自分自身の満足感が
心に自信を生み出してくれる。

成長は危機感から生まれるものかも「人事を尽くして天命を待つ」。


2020年3月6日金曜日

フンコロガシ

快晴。昨夜は-2℃だった。 

「人間が奪い合うもの何てフンコロガシにとってのウンコくらいの
 ものだ。」
 以前、どこかで読んだことで、何んとなく頭の隅に残った。

フンコロガシは、ウンコの取り争いをする。ウンコを奪われた敗者は
引き下がって、ウンコを奪った勝者は、ウンコを転がし続ける。
メスは、大きなウンコを持っているオスと一緒になる。 \(^o^)

人間は、フンコロガシの行動をバカバカしいだと思うかも知れないが、
でも、神様から見たら、人が取り合っている物もお金も地位も名誉も、
ウンコと同じかも⁉💩


2020年3月5日木曜日

恐れ

曇り時々晴れ。9℃、冬の逆戻り。

聖書の言葉

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。』 イザヤ41:10-

恐れることが多い世の中・・・病気や失敗や人間関係など。
誰にでも経験がある。

でも、よく考えると恐れの大きさは、自分の想像で決まる。 
実は恐れって、自分で作り出していると思う。 

そうだったら、その想像力を使って、恐れを最低限にすることも、
逆に安心を増やすこともできる気がする。

それに神様は支えて下さっていると信じていれば、なおさら
恐れることが少しずつ減っていくと感じるようになる。

2020年3月4日水曜日

なるようにしかならない

曇り時々雨。

昔の歌を思い出す。「ケセラセラ」は、まさに「なるようになる」か
「なるようにしかならない」という意味で、子供の時に親によく
聞かされた言葉だった。

世の中では新型コロナウイルスの一色で、どうなるか誰にも
判断できない。努力しても運命的なことがある。感染したら、
死ぬリスクの高い人たちとそうでない人たちもいると言われて
いるけれども、私はそう思わない。生き延びるか、それとも
死ぬか、人の運命に過ぎない! 

頑張っても変えられないことに不安を感じるくらいなら、
「なるようにしかならない」と割り切ったほうがいいと思う。

まぁ、割り切ることができるかどうか、個人差がある。
そして、その前に現実を受け入れるしかない。

2020年3月2日月曜日

Over the Rainbow

晴れ。15℃

厳しい現実から逃げたくて、懐かしい歌を見つけた。



「神は約束してくださった
雲と雨のあとに虹を
淋しさ、悲しみのあとに愛を
涙のあとに喜びを
悩み、苦しみのあとに平和な憩い」
                   作者不詳

一日も早く新型コロナウイルスがなくなりますように
お祈りしています。

2020年3月1日日曜日

選択肢

曇り。12℃

いつもと変わらない日曜日。インターネットのミサに参加して、
色々と考えさせられた。

昨日は病気でも選択肢があると書いた。

「たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、
 周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決める
 ことができる。」 
                         アルフレッド・アドラー

「人はどんなことでもできる」「運命は自分で変えられる」など、
そう言っても、できないことだってある!

何も悪いことをしていないのに、なぜこんな目に合わなければ
ならないのか?・・・誰でもそう思うかも知れない⁉
難病、重い障害、癌、家族の突然死など・・・
それでも自分で何かを変えられると言えるのか? 
それでも自分で何かを決められるのか? そう思う人が多い。

その通り、自分自身の力でどうにもできないことがある。
しかし、それ自体を変えることは出来なくても、それをどのような
気持ちで受け取り、どのような意味づけをするのか、その選択肢が
残されている。

ピンクのレンズを通して見れば世界はピンクに見える。
コップに半分だけ飲み物が入っていれば、「半分しかない!」と
思うか、それとも「まだ半分もある!」と思うか、考え方は人次第! 

私の考えでは「半分しかない!」と認めて、チョビチョビ飲めば、
結局、「まだある」という結論に辿り着く。

必ず前向き、ポジティブにずっといる必要はないと思う。
できる範囲でいいと言う選択もある。大げさに考えると疲れて
しまう。

そうしたら、苦しみと辛さの中でも何かを学び、小さなことに
感謝できるようになる。