2020年3月8日日曜日

人生の意味


最期を迎える人は今生きる意味があるのかときっと自分に何回も問いかけることが
ある。特に難病と向き合って何年か、もしくは何十年も不自由さを感じながら
生きている人は、果たして生きる意味を見出すことが出来るか。

人生に特別な意味があるとは思わないが、でも、自分の人生に勝手に意味を
見出すのは快感であるに違いない。

誰にも認めてもらわなくていい、自分だけが満足で生きればいい、という程度だと
きわめて個人的な「意味」になる。他人に承認してもらう必要がないので、
これは楽だと思う。

結局、人を苦しめているのは、「他人の承認を欲しがる」ということだ。
他人って自分の思い通りにならないし、全くあてにならない気がする。
それなのに、どうして人は、そんなに他人に認めてほしい?と理解できない。

その中で障害者も普通の人間と認めてほしいから、周りの人間に自分を同じように
扱ってねという要求が強い! しかし、そう認めてくれない人もいる。
それは悔しいかも知れないが、仕方がないと思う。

それを「差別」と言うのなら、世の中の大半の人間は自分の思いどおりに
他人から見てもらえないので、みんな被差別者ということにならないか・・・

そのために迫害を受けたり人権を侵害されるのなら「差別」だが、
自分の思ったとおりに扱ってもらえないなんてのは差別と言えないと
私は思う。

人は自分のアイデンティティを自由に設定する権利がある。
でも、自分の決めたアイデンティティを認めさせる権利はない。

他人に「理解しろ」「受け容れろ」「承認しろ」と要求するのなら、
相手の疑問や違和感に対して丁寧に辛抱強く答える義務もあると思う。

他者の承認を求めても中々得られないのが人生というものであり、
社会というものだと私は思っている。

自分だって他者を無条件に承認することは不可能なのだから、
自分が思うような形で承認されないのも当たり前だと思う。
それが大きなストレスとなるのなら、いっそ他者の承認など
求めずに生きればいい! まぁ、かなり強い人間ではないと難しい!

人間は他者の承認によって初めて「自己」の輪郭を作り得ることがある。
他者は己を映す鏡とも言える。客観的な自己像を作るために必要かも!
そうでないと勘違い人間として生きていく羽目になる可能性が高い!