2020年1月22日水曜日

「外国人」という呼び方

雨。12℃。

昨日は入浴で、今日はカニューレ交換だった。疲れがでた! 
お風呂は知らない看護師が来て、お互いに緊張していたが
どうにか笑顔で乗り越えた。
まぁ、お~!外人だと言われなかっただけで救われた。

前から思うことがある。「外国人」「日本人」という考え方が
どうにかならないのか?

foreigner」の日本語訳である「外国人」という言葉は、
人間を二つに区別していることになりかねない。
つまり「日本人」と「外国人」、人間はこの二種類ということを
示していると感じる。

日本人はよく「日本人はこうするけど、外国人はどう?」
「日本人だとこう思うけど、外国人はどう思う?」と話をする。

欧米の人は大抵「foreigner」と呼ばれると距離を感じて嫌がる。
だって、そもそも人間を二種類で考えること自体がおかしいと思う。
なぜ日本では人間を「日本人と外国人」と区別するのか?

日本以外の国では、「外国人」という概念がない。
では、他の国は世界をどうみているのか?
「外人」かどうかではなく、「どの国の人」かを見る。
「あの人はフランス人」「あの人はインドネシア人」と認識する。

人間を「日本人」「外国人」と二つに区別する場合は、
「日本の外の人全員」を一つのグループとして考えてしまう。
接し方も同じで、それぞれの国の美しさ、多様性、人々の個性など
全てに無関心だということになる。

相手を自分と同じように「個性を持つ一人の人間」として見れなく
なる。それの原因で、日本人以外の人間を「自分とは違う人」と
認識し、固定観念にとらわれてしまう。

自分と同じ人間として相手を見ないと、相手に「共感」することが
非常に難しくなる。そこで共通の言葉が大事だと思う人が多い。

でも、外国人は日本語を話せたとしても、日本人にとって
いつまでも外人だ。自分と同じ一人の人間ではないと区別される。
それは強く言えば一種の人種差別、少なくとも人権侵害だと思う。

まぁ、違う考えを持つ人を受け入れることがこの国では、元々
難しい気がする。