雨。12℃。
昨日は入浴で、今日はカニューレ交換だった。疲れがでた!
お風呂は知らない看護師が来て、お互いに緊張していたが
どうにか笑顔で乗り越えた。
まぁ、お~!外人だと言われなかっただけで救われた。
昨日は入浴で、今日はカニューレ交換だった。疲れがでた!
お風呂は知らない看護師が来て、お互いに緊張していたが
どうにか笑顔で乗り越えた。
まぁ、お~!外人だと言われなかっただけで救われた。
前から思うことがある。「外国人」「日本人」という考え方が
どうにかならないのか?
どうにかならないのか?
「foreigner」の日本語訳である「外国人」という言葉は、
人間を二つに区別していることになりかねない。
つまり「日本人」と「外国人」、人間はこの二種類ということを
示していると感じる。
人間を二つに区別していることになりかねない。
つまり「日本人」と「外国人」、人間はこの二種類ということを
示していると感じる。
日本人はよく「日本人はこうするけど、外国人はどう?」
「日本人だとこう思うけど、外国人はどう思う?」と話をする。
「日本人だとこう思うけど、外国人はどう思う?」と話をする。
欧米の人は大抵「foreigner」と呼ばれると距離を感じて嫌がる。
だって、そもそも人間を二種類で考えること自体がおかしいと思う。
だって、そもそも人間を二種類で考えること自体がおかしいと思う。
なぜ日本では人間を「日本人と外国人」と区別するのか?
日本以外の国では、「外国人」という概念がない。
では、他の国は世界をどうみているのか?
では、他の国は世界をどうみているのか?
「外人」かどうかではなく、「どの国の人」かを見る。
「あの人はフランス人」「あの人はインドネシア人」と認識する。
「あの人はフランス人」「あの人はインドネシア人」と認識する。
人間を「日本人」「外国人」と二つに区別する場合は、
「日本の外の人全員」を一つのグループとして考えてしまう。
接し方も同じで、それぞれの国の美しさ、多様性、人々の個性など
全てに無関心だということになる。
相手を自分と同じように「個性を持つ一人の人間」として見れなく
なる。それの原因で、日本人以外の人間を「自分とは違う人」と
認識し、固定観念にとらわれてしまう。
「日本の外の人全員」を一つのグループとして考えてしまう。
接し方も同じで、それぞれの国の美しさ、多様性、人々の個性など
全てに無関心だということになる。
相手を自分と同じように「個性を持つ一人の人間」として見れなく
なる。それの原因で、日本人以外の人間を「自分とは違う人」と
認識し、固定観念にとらわれてしまう。
自分と同じ人間として相手を見ないと、相手に「共感」することが
非常に難しくなる。そこで共通の言葉が大事だと思う人が多い。
でも、外国人は日本語を話せたとしても、日本人にとって
いつまでも外人だ。自分と同じ一人の人間ではないと区別される。
それは強く言えば一種の人種差別、少なくとも人権侵害だと思う。
まぁ、違う考えを持つ人を受け入れることがこの国では、元々
難しい気がする。
非常に難しくなる。そこで共通の言葉が大事だと思う人が多い。
でも、外国人は日本語を話せたとしても、日本人にとって
いつまでも外人だ。自分と同じ一人の人間ではないと区別される。
それは強く言えば一種の人種差別、少なくとも人権侵害だと思う。
まぁ、違う考えを持つ人を受け入れることがこの国では、元々
難しい気がする。